東京タワーという言葉は日本人の人なら誰しもが聞いたことがあるかと思います。しかしこれは愛称です。簡単に言うとあだ名ですね。正式名称は日本電波塔というものです。
1957年(昭和32年)5月8日に日本電波塔株式会社を設立し同年の6月29日に地鎮祭が行われ着工となります。
そして翌年の昭和33年に審査会において愛称の「東京タワー」と決まったわけです。その年のクリスマスイブの12月24日に一般公開が始まります。昭和33年に333mの電波塔は当時、世界一の高さを誇る電波塔だったのです。
東京タワーは誰が作ったの??
そもそもなんで作ったかということですが、当時アメリカでTVが普及していくのですが、これを見ていた日本はいずれ日本もTVが普及していくだろうと考えていました。今のままだと日本中が電波塔だらけになってしまうという問題がありました。そこで考えたのが芝公園にできた巨大電波塔である東京タワーだったのです。
とざっと書いてきたのですが、皆さん疑問に思いませんか?着工が昭和32年、完成が昭和33年!?エッフェル塔を超える当時世界最大の333mの電波塔ですよ?こんな納期ありますか?(笑)聞いたことないですよ。
この設計を行ったのが内藤多仲さんです。当時71歳で塔に詳しい偉大な建築家です。それに素晴らしいとび職(黒崎建設の精鋭部隊)を集めこのプロジェクトが始まります。この一大プロジェクトにかかわったのは延べ22万人と言われています。
ちなみになんで東京タワーが赤かというと、あれは国際基準で決められたインターナショナルオレンジという色なのです。高い建造物なので飛行機などがぶつからないように目立つ色になっています。ではなぜスカイツリーはインターナショナルオレンジではないのでしょうか?それはスカイツリーには専用の光が取り付けられていて夜でも遠くから見たときに目立つように設計されています。その場合、インターナショナルオレンジを使わなくてよいことになっています。
人類の常識を超えた電波塔!?
なんでそんなことが言えるかというと、まずはその納期の早さです。設計はたった3ヶ月。設計図の資料は1万枚にも及びます。これは今の常識では考えられません。パソコンもないんですよ?そして東京にふさわしい美を求められました。これはもう無茶苦茶です(笑)
この設計は簡単なものではありません。幾多にも及ぶ地震。毎年発生する台風を考慮して設計しなければなりません。計算できますか?こんなこと。しかも全部手計算の時代です。計算をミスったらとんでもないことなのです。
東京タワーにまつわる大事件
まず1つめは建築基準法があるので東京タワーはできません(笑)ということです。この法案を作ったのが新潟県出身の最終学歴は小学校高等科である田中角栄さんです。一般建築物は31mが限度だったのです。120m以上の高さにある展望台は一般建築物に該当するということでした。
この判断をしていたのが建設省の事務次官である石破二郎さんです。自民党総裁選に立候補していた石破茂さんの父に当たります。
そして郵政大臣に就任した直後の田中角栄さんにこんなエピソードがあります。
「あのバカ高いさび付いた鉄塔はなんだ?」
「建築基準法で工事がストップしておりまして・・・」
「よしっ、私が処理してやる」
このコンピュータ付きブルドーザーはどのように解釈したのでしょうか?
それはもう強引です(笑)
「建築基準法を作ったのは私だ。テレビ塔は広告塔であって一般建築物には当たらない」と解釈し、事業継続となりました。
次の事件は実際に作ってみたら合わない!?という大事件です。これはなにかというと鉄骨を組んでいったら鉄骨同士が設計図通りに組めないのです。これは本当に大事件で完成しないということになってしまします。この原因は切断した段階で材料が15mmズレていたからです。この巨大な建築物においてたった15mmのずれも許されないほど精密な設計だったのです。
3つめの事件は作り方に難あり!?というものです。まず驚くのが命綱、安全帯、落下防止のネットなどがありません。落ちたら死が待っています。それだけではありません。下で800℃にも熱せられた鉄をそれを鉄製の箸で挟み上の作業場に投げます。そして受け取った作業員はハンマーで一気にたたき、溶接。この動作を28万回繰り返してできたのが東京タワーなのです。
いかがだったでしょうか?クレイジーの連続でこの東京タワーが出来たのです。是非一度、下から見上げるだけではなく展望台からも東京を一望してみてくださいね!
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